「地味な色こそ流行の先端」の江戸後期~明治時代

着物ドレスの椿屋です。こんにちは。
 

前回ご紹介した「Kimono Beautyーシックでモダンな装いの美 江戸から昭和」の中に、江戸時代に流行った「シックな色」のことが紹介されていました。

今日はそのことをご紹介します。


鮮やかなイメージのアンティーク着物ですが、江戸時代後期から明治時代の初めころは、若い女性の着る着物は振袖ですら地味な色が多かったそうです。

黒やシックな色の洋服が好きな人は現代にも多いですよね。

一つのアイテムにカラーバリエーションがある場合、黒・グレー・茶のどれかが入っていることもふつうです。

コーディネートしやすく、着ていて気分が落ち着く、というのは人気の理由に入りそうです。


高価な地質・染料、派手な色の使用が制限されていた江戸時代後期、制限外の色である、茶、鼠、納戸(緑色を帯びた深い青色)などから流行色が生まれやすかった、というのが、シックな色が流行った背景にあるようです。

とくに江戸では洒落で粋を好む美意識が育ち、茶系統の色も江戸時代を通して流行していました。


江戸時代中期以降は「○○鼠」と称する色がいくつも登場し、鼠色のバリエーションが豊富になり、江戸時代の人々はほんのわずかな色の違いにこだわり、それを楽しんでいたそうです。

「現代の感覚では『地味』に見える色こそ流行の先端だった」とあります。

鼠色=グレーのバリエーションが豊富だなんて、なんて繊細で洒落た流行なんだろう!と思わずにいられませんでした。


大量生産の服の中からの服選びが主流の現代では、「わずかな色の違いにこだわり」という感覚はあまりないように思います。

いや、もちろんある方もいらっしゃると思いますが、なかなか工夫が必要のように感じます。


明治40年代になるとだんだんと鮮やかな色も流行るようになってきて、現在に見られるアンティーク着物のイメージの紫などに人気が移っていったようです。


面白い記述がありました。

大正5年に発行された『風俗画報』のなかで、40歳近いある婦人が

「わたくしが嫁に来た時分の衣服(きもの)を一つ二つ出して見ましたが、今じゃ地味で着られません」

と言った、というものです。


若いときの着物が派手で着られない、なら今だってよくある話ですよね。

でもこの方のように、若いときに地味な色が世間で流行っており、40歳近くなったときにはもっと明るい色が一般的になってしまった、ということもあったわけですね。

そういった色の流行りの移り変わりの中にあった人ならではの言葉だなあと、面白く感じました。

「時代の移り変わりとともに街の景観は変わり、人の趣向も変化していく。そして道行く人々がまとうきものも、着実に変貌していったのだ」

と結ばれています。

土地や気候が「人の性質・気質」をつくるんだなと思うことがよくあります。

様々な国の人たちの絵やアート作品を見てもそう感じます。

ヨーロッパらしいとか、アフリカらしいとか、そう感じるものもその一つです。

色に対する感覚はやはり、周りの環境や世の中の雰囲気で変わりますよね。​

学生時代時代に、教室を見渡すと「あれ、今日は黒っぽい服が多いな」「おや、今日は赤の服が多い」なんて思うことがありまして、天気や気温、曜日の雰囲気なんかで、人が無意識に選んでしまう色ってあるのだろうか、と思ったことがありました。

深層心理にある「今日はちょっと閉じた気分」「今日は前向きでいきたい」というおもいが関わったりするのかもしれませんね。

華やかな色の着物に溢れた大正~昭和初期という時代に大変興味を持っています。

でも、現実にはシックな色の服を着ることの多い私には、この江戸後期~明治という時代の感覚にもまた新たに興味をそそられました。


それではまた。

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